失われた報道の自由 2020 11 8

書名 失われた報道の自由
著者 マーク R. レヴィン 日経BP
Unfreedom of the Press by Mark R. Levin

 ここで言う「失われた報道の自由」とは、
政府の弾圧や圧力によって失われた自由ではなく、
報道に携わる人々自らが報道の自由を踏みにじっているという意味です。
 この本の表紙には、このようなことがあります。
なぜ、米国の一流メディアは偏向報道を続けるのか?
ニューヨーク・タイムズやCNNをうのみにしてはいけない!
(引用、以上)
 なぜ、そう言えるのか。
それは、社会運動型の記事が増えたからでしょう。
つまり、記事を書くことにより社会運動を起こしたいという報道が増えたからでしょう。
 しかし、これは、本来の報道から逸脱していると思います。
この本から、引用しましょう。
 イギリスのジャーナリスト、クラウド・コックバーンは、かつて、こう書いた。
「すべてのニュース記事は、順番が逆だ。
本来は、まず事実があり、そこからニュースが生まれるはずだ。
 それなのに、実際は、
まず、ジャーナリストの見方や考えがあり、
それをもとに事実が組み立てられている」
(引用、以上)
 もうひとつの問題点を書きましょう。
それは、報道機関は、「報道しない」ということを武器として使っていないか。
 たとえば、ニュース配信社から配信されたニュースを見て、
「これは、明日、大ニュースになる」と思っても、
翌日の新聞やテレビでは、どこも報道しなかった。
 もちろん、新聞やテレビも「社の方針」や「編集方針」がありますので、
現場の記者が「これは報道すべきだ」と思っても、報道できないということがあるでしょう。
 あるいは、新聞やテレビに、いつも大量の広告を出している企業において、
不祥事が発生した時には、報道しずらいでしょう。
 しかしながら、報道しなければ、
有権者や消費者は、その事実に気づかない。
つまり、その事実が実質的に「なかった」ことになるのです。
 このようにして、先進国においては、報道の自由は失われる。
これは、独裁国家や強権国家とは違う形で、報道の自由が失われているのです。










































































トップページへ戻る